桂歌丸師匠。

このブログを書く日がきてしまいました。


くるべき時が来たらと、決めていた事ですが来ないでほしいと願っていました。


20年近く前になります。
私は落語は好きなもののCDを聴くか、NHKの早朝にやっている日本の話芸をみるか、噺家さんの著作本を読むのが精一杯で、自分にはまだ足を踏み入れる事はできない場所と思っていました。
そんな時、友人が「歌さんの落語、チケット手に入れたよ」と誘ってくれました。
場所は、原爆資料館の小さいホール、いや、大きめの会議室といった会場で、パイプ椅子50脚ほどでしたでしょうか。
もちろんすでに第一線でご活躍されていましたから、本当に歌さんは現れるのかとドキドキしたものです。


でもですねぇ、現れたんですよ、歌さんは。師匠は。
細く小柄で現れた師匠は、とんでもない威厳を纏い、ただ歩いて座布団に座るその所作だけで、背筋を直し鳥肌がブワっとたちました。
それまでの人生の中で、あのような大人に出会ったのは初めてでした。
恐いではなく、穏やかなのに、空気がピリッとなるあの感じ。


演目は「竹の水仙」でした。
歌さんの代表する人情噺ですね。
でもその当時、そのような事はなにも知らないままそれはもう食い入るように聴き入り魅入りました。
そして粋というモノを知りました。
今でも鮮明に思い出します。


それが、私の生落語初体験でした。


それからは毎年、新春落語三人会に行くようになり、小三治師匠と歌丸師匠にウットリするのが1月の恒例行事となりました。
でも、数年前から歌丸師匠は来れなくなり、小三治師匠が「よろしく言っときますね、歌丸さんは死にそうで死なないからまた一緒に来ますから、もう少し待っててくださいね」と毎年言ってくれるたびに笑い、気持ちがギュッとなりました。


あの姿、あの声、あの所作をもうみれないと思うと本当に寂しく、辛いですが、落語は、お弟子さんが受け継いでいます。
前座に上がっていたお弟子さんが二ツ目、真打となる道筋をみることができます。
そこに、師匠の面影や、心意気を感じることができる。最近やっとそこに気づいたとこでした。


私の人生の大きなターニングポイントの歌丸師匠。
一方的ではありますが、本当にありがとうございました。


……でもやっぱり、来年の新春落語で「また歌丸死亡説出てましたけど、ワタクシしつこく生きてます」と出てきてくれないかなと、そんなことを思ってます。